2015年09月12日

無意識にフォーカス

『意識できることよりも
無意識を掘り起こせば、自由になれる

自分の中で気にかかっていることは、今と過去を結ぶタイムマシンのようなものです。
脳は、現在の経験と過去に起こった様々な出来事を結びつけようとしています。無意識からのシグナルを拾いあげ、過去をもう一度思い出すことで、過去の嫌だった思い出を忘れ、新たな現在を始める事ができます。』

茂木健一郎氏著 『脳と心の整理術』から抜粋

この本では、忘れる事の重要性を説いている。
やみくもの忘れるのではなく、一旦整理して、それから忘れる。

目を背けようとするから、返ってその事を意識してしまう。
一度ハッキリと、その正体を見極めれば、それが恐れる事では無い、とわかるかもしれない。
しっかりと見る事ができた自分に、自信が持てるかもしれない。
自信が持てれば、その事を克服する勇気を持てるかもしれない。

思い出を大切に・・・と言うけれど、嫌な思い出は忘れてしまうにこした事は無い。
忘れてもいいのだ。
記憶喪失になったからと言って、死ななければいけない訳ではない。
認知症になったとしても生かされている。
記憶しておく事によって、生命に危機があるならば(ストレスから重度の病へ)、むしろ忘れた方が良い。

忘れてしまえないには、それなりに理由がある。
根拠無く忘れてしまえれば良いけれど、どうやっても無理。
そういう時は、忘れないでいる理由を探せば良いのだ。
人間、理由さえ判れば、手放せたり、許せたりするものなのだから。
posted by ミー at 16:38| Comment(0) | スクラップメモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月10日

すべてつながっている

この世の事は、全て私の中の出来事であり、宇宙の中の調べと繋がっており
自分は事の存在として、その調べと繋がっており絶対に自分は孤独にはなれない。
その中で、自分も調べを奏でていて、その調べは空間を伝わり、自分の耳にも届く。
奏でた時とは違う形となって。

自分の元に返ってきた調べが、どんな形になっていても、喜んで迎え入れられるだろうか?
実は、それは、自分が調べに込めたメッセージが伝わったのだと、信じられるだろうか?
どんな形であれ、戻ってきた調べの形が愛だと受け止められるだろうか?

全ては自分の奏でた調べ、と、自分を許す事ができたなら、人生が楽しくなる。
posted by ミー at 10:50| Comment(0) | 心模様 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

何でも許せる

何でも許せるようになる、っていうのは我慢する事ではない。
視点を変えると、物事は許せるようになる。
自分がどこにテーマを置くか?で物事の見え方は変わってくる。
そういう意味で、人はそれぞれに自分の正義を持っている。

その正義が、誰にも理解されない時、人は苦しむ。
その正義を自分すら気づかず、自分すら理解していない時、人は最も苦しむ。
自分の正義をポリシーを、自分だけが理解して納得していれば
人生はそれほど苦しいモノではない。
その正義をポリシーを自分の生きる指針を、自分以外の人や教えと比べると
とっても苦しくなる。
自分は間違っていないか?
自分はおかしいのではないか?
自分は人と同じになれない。

自分ひとりで居る事を自分が許せば、人生はそんなに苦しくは無い。
孤独ではなく孤高。
唯一無二の自分のセンス。
生き方のセンス。
自分の中の、ユニークなセンスを自分が愛でていれば、自分は幸せなのだ。
posted by ミー at 10:46| Comment(0) | 心模様 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

誰かの為に

誰かの為に生きられるなら、自分の為に生きてもいいではないか。
むしろ、自分の為に生きた方が、幸せになる確率は高い。
人に喜んでもらうより、自分が喜ぶ事だけを紡いでいけば、
自分は一生喜んで生きて行ける。

自分が喜ぶ事が誰かの為になるのなら、こんなに嬉しい連鎖は無い。

誰かの為に生きられるなら・・・それは、一番愛しい、自分の為でありたい。
私もまた、誰か、なのだから。

自分をいじめても、けなしても、さげすんでも悲しいだけ。
悲しくて泣いている姿は、自分は嬉しいか?それを見た他人は嬉しいか?

否。

誰かの為に生きられるなら、自分の為に生きられるなら、自分を喜ばせる為に生きられるなら
誰も悲しくはならない。
喜んでいる自分も嬉しい、見ている他人も、嬉しい。

鏡の世界であるならば、自分が笑えば鏡(他人)も笑う。
全てはひとつの世界であるならば、自分が笑えば、繋がる他人も笑う。
与えるモノが受け取るモノの世界なら、喜びを放てば、喜びが返ってくる。

誰かの為に生きられるなら。
私しかいない世界で、誰かとは?

・・・私。
posted by ミー at 00:51| Comment(0) | 心模様 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月09日

全ては自分の責任

自分原因説に立つと、全てが自分の責任、って事になる。

この時、ネガティブな思いで自分の責任、と考えるか
ポジティブな思いで自分の責任、と考えるか。
この違いで大きくモノの捉え方が変わってくる。

ネガティブな思い、というのは『自分のせいで』『自分が悪い事をしたから』
というモノ。
これを自分の責任で、という風に思いがちだけれど。
この発想からすると、自分を責める方向にしか思考できない。

ポジティブな思い、というのは『自分はこの経験をして知りたい事がある』
『理解して学び取りたい』というモノ。
この発想でいくと、自分を励まし続ける方向でしか思考できない(と思う)。

自分の立てた目標をクリアする為に、今、目の前に様々なトラブルが繰り広げられて
いるとして。
自分が悪い、と発想すれば、自分がそんな目標立てなければ良かった、と自分を責め続け
関係者に自分のせいでこんな事に・・・と罪悪感を持ち続ける。
純粋に理解したい、と発想すれば、理解するまで、あきらめるな、頑張れ!と自分を
励まし続ける。そして協力者に感謝の気持ちを抱く。

実はどっちだっていい。
ただ、この世には法則がある。
与えたものが受け取るモノ。
”責める”エネルギーはマイナスだから、自分がマイナスを放っていれば
(この世にマイナスを与えていれば)マイナスが自分に返ってくる。
”励ます””感謝”はプラスのエネルギーだから、プラスのエネルギーでこの世に関われば
プラスのエネルギーが返ってくる。

自分を責め続けるには、それなりに理由があるはずだ。
飽きるまで、責め続ける事が無駄だ、という事に気がつくまで続ければいいと思う。
この世に時間など無い、という観点からすると、いつまで自分を責めても問題ない。

もしも、自分が自分を責める事に飽きてしまったら、それは無駄だと気づいていまったら
その時にやめればいい。
気づかないと止められないし。

どのように生きたとしても、正解、不正解を判断できるのは自分自身。
更に言うなら、起こる事、経験する事に不正解は無い。
全ての出来事は、自分が立てた目標をクリヤ(気づき)する為の一歩でしかない。
posted by ミー at 01:04| Comment(0) | 心模様 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする