2015年10月20日

好きこそももの上手なれ

本当に好きなことならば、地道に積み上げていくプロセスさえ楽しい事になる。
一足飛びに、それに成ろうとするのは安直で、そこに到達したい、という欲望もなく
ただ、気が付いたらやっていた、というのが本当に好きな事なのかもしれない。
多分、そうだろう。
それが、後々、天賦の才能と呼ばれたりするのだろう。
息をするのと同じくらいの感覚で、進んでいけること。
それが、本当に好きな事、天職、という事なのでしょう。
そして、それをする為には、何をするのもいとわない。
資金が必要であれば、気に入らない仕事でもやり続けてお金を貯める。
場所が必要なら、本当にやりたい場所が見つかるまで、地道に探す。
もうやめれば?と周りに言われても、やめない。なぜか辞められない。

そういう事は、案外、自分では気が付かない。
それが、花形だったり、今居る場所、空気感から遠かったり、あまりにも現実的すぎて
とても夢とは思えなかったりするから。

魂がやりたいと魂に刻んできた事は、何一つ準備が整っていなくてもやり始めている。
もやはやっているかもしれない。
形になっていなくても、観念やトラウマを解消していけば、実は形になりつつあった、という
事もあるし。
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2015年10月17日

わたしな〜らどうする? 

いつもなら、こんな時、あの人ならどうするだろう?と思うが、今朝は、私ならどうするだろう?

と考えていた。

私ならどうする?という考え方の導入は初めてだ。

あの人ならこうするだろう、しかし、私はこうする、はいつもやっているのだが。

他人との比較ではなく、自分自身、ポジティブな時の自分自身、知性の働いている時の自分自身。

その自分だったら、どういう行動になるかな?どう考えるかな?

調子の悪い時の私は(心身共に)、調子の良い時の自分をすっかり忘れている。

調子の悪い時に調子の良い自分を思い出したとしても『あの時はできたのに・・・』

と卑下してしまう方向にしか捉えてこなかった。

しかし、調子の悪い時の私も、調子の良い時も私自身で、だったら、自分と自分を比較するのは

おかしな話。

比較をする限り、幸せな明日はやってこない、と思う。

いや、思えるようになった。

調子の良い時の私がホンモノで、調子の悪い時の私がニセ者。

今までは逆だと思ってた。調子の良い時は奇跡的に、一時的に気分が良いのだと。

このやり方で、人生が面白くない事に転がってしまったのなら、やり方を変えるべし。

調子の良い時の私がホンモノ。

じゃ、ホンモノの私ならどうする?どういう決断をする?どう過ごす?どう生きる?どう生きたい?
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2015年10月14日

この世は自分の投影

目の前で起こる事件は、全て自分の心の中の出来事の投影。

心の中の葛藤がこの世に映し出されているだけ。

という事であれば、外に起こる事件をなんとかしようとするより
自分の心の中の整理をした方が、事件解決の近道。



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2015年10月12日

この世の真実

・私は存在している(わたし、とか、在る、とかで表現されてる)
・全てはひとつ(あなたは私、私はあなた、とかで表現されてる)
・与えたものが受け取るもの
・全ては変化し続ける

この4つの事を生活で実行しようとすると、自分の感覚を疑わざるを得ない
訂正せざるを得なくなる。

『ドリフの大爆笑』でやっていた『もしもこんなお店があったら・・・』ばりに
『もしもこんな生活していたら・・・』でやってみよう!

もしも、私は存在している、で生活していたら・・・
自分がこの世にいていいんだ!この家にいていいんだ!この両親の元にうまれて良かったんだ!
という事を認めなければならない。

<わたしなんて居なければ良かったんだ>って考えがそもそも無意味という事になる。
存在があたり前なら、居なければって事は成立しない。
故に、自分は居るって前提で物事を構築していかなければならなくなる。

もしも、全てはひとつ、で生活していたら・・・

あの人の〇〇な所が嫌い、と言っているからには、自分の〇〇な所が嫌い、と言っていると
認めなければならない。

あなたは私、私はあなた、なのだから、人を批判する事は、自分を批判する事になる。
故に、人の事をとやかく言えなくなってしまう_| ̄|○
人の行為でむかつく事があれば、それは自分の中の同じ行為にむかついている事になる。
よく、この世は鏡、と言うけれど、そういう事だと思うのよ。
全てはひとつなら、嫌いなあの人ともひとつな訳で、嫌いな人がいなくても、嫌いな身内とも
ひとつな訳で。
嫌いな人と私が同じ?・・・悶絶。

もしも、与えたものが受け取るもの、で生活していたら・・・

今日、怒りをぶつけられて嫌な思いをした事を、数日前、自分が出した怒りが返ってきただけ
という事で、許さなければならない。

笑顔を与えたら、笑顔が返ってくる。憎しみを与えたら憎しみが返ってくる。
これだけの単純な話ではあるが、これが、与えた相手から速攻で返ってくるならわかりやすい。
どういう訳か、あちこち巡り巡って、思わぬ所から返ってくるからわかりにくいのよ。
今日、Aさんに与えたら、3年後、S氏から返ってきた。
わかるか〜〜!!!
今、目の前で起こる、ひとつひとつの事に、あの時のあれ!とハッキリタグ付けされていたらいいけど
無味無臭、透明なので、わからない。
それに、怒り心頭な時に、イチイチそんな事、悠長に考えられないし。
しかし、それを、イチイチ考えてみたり、悠長に考えてみたりできれば、と思う。
ただ、自分が出した怒りが返ってきた、とはなかなか受け取れない。
怒った自分は嫌いだから、思い出したくもないしね。
余計に頭にくるわい!

もしも、全ては変化しつづける、で生活していたら・・・
昨日はこう言ったのに、今日は違う事を言っている!という嫌いな人(親、夫、上司等々)を
許さなければならなくなる。
朝令暮改な気まぐれな意見に、ついて行かざるを得ない。

楽しい事につけ、苦しい事につけ、過去に起こった出来事に対する感情を、ずっと同じに
持ち続ける事自体、この世の法則に立ち向かう、逆らう事になる。
なので、同じでいる事が苦しくなってしまう。
いや、ずっと怒っていたかったり、悲しんでいたかったりするのだけど・・・
これは、変化し続けるエネルギーと相反するものなので、かなり自分のエネルギーを
消耗する事になるのだけど、普通に生活してたら、自覚できないよなぁ。

社会生活を、この法則に乗っ取って、これを基準にして生きる事ができれば・・・
それができる人が『覚者』と言うのでしょうね。
そして、そうやって生きる事を『地に足をつける(グランディング)』と言うのでは無いか?
と、この頃思うのです。












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2015年10月10日

人からの評価と自分自身の評価

私はブラックだ。
とってもブラックなんだけど、どうやら人からはそう見られていないらしい。

私は天使は大っ嫌い。
よく、天使からのメッセージとかエンジェルうんぬん、というのがあるけど、
きれ〜な美し〜〜イメージ好きな人が多いけど、キラキラした感じ?
あ〜〜、もう、全然無理!

私、天使より悪魔に共感します。
天使・・・うさんくさいなぁ。
悪魔・・・おまえら立派だよ!

天使の所行っていうのは簡単にできそうなのよね。自分も気分いいだろうし。
だけど、悪魔の所行って、これ、なかなか出来ないよ。根性無いと。
全て愛だって言われてる割に、悪魔は嫌われてるしさ。
全てが愛なら、悪魔だって愛だろうよ。

全てが役割、っていうのなら、誰かが悪魔をやらなきゃ、善が成立しないものね。
じゃ、その悪魔役を買って出る人って、生半可じゃできないよね。
だって、嫌われる事、必須だもん。

話が逸れてる。
どうも、私の事を、遠巻きに”天使的”と観られているフシがある事に驚いたって話。
こんなにブラックなのに。
結構、ドロッドロなんだけどね。
悪魔にもなれない、小心者ですけどね。
(小ずるい事は考えても、ずるい事まで頭が回らない)

夫には、他人の目も自分の目なのだから、他人の評価も自分自信だ、と言われる。
なので、それも自分だと受け入れろ、と。
否定しても何も始まらない、と。

天使=清廉潔白
あ〜〜、無理無理。
清廉潔白、なりたくない。
この世はね、清廉潔白では生きていけないから。

っつうか、ブラックの方が、面白いんです^^
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