2015年11月29日

変化

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全てはただの変化。
それに対して、これは嬉しい、これは悲しい、と判断しているのは自分。

子供の成長はうれしいもの。しかし、どこかでそれがさびしいと思っているとイラつく。

誕生(出会い)は嬉しいもの。
死(別れ)は悲しいもの。

近い距離でみれば、喜びや悲しみにつながる。
長い距離でみれば、今の思いが逆転する。
どの距離で区切って、悲しいとか嬉しいとか決めるのは自分。

未来、良い結果になるとは限らないから不安。
過去の例と照らし会わせて、あの時不幸だったから今回も不幸な結果に終わるだろう、
という予測。

本当にそうだろうか?
良い結果に解釈できるまで、待つ事も必要。
待てないのはなぜ?

数々、過去の体験が、待つ事によって不幸になった。
本当にそうか?
不幸の印象だけ、色濃いのではないか?

待つ事は=楽しい、と思えないのはなぜか?

コンサートまで、イベントまで、その日が来るまで、楽しい、と思えるが。
別れの日が来るまでの間、楽しいと思えないのは?
別れ=悲しい、と思い込んでいるのは?
別れ=新たなスタートと思えないのは?

新たな境地を見いだせないのはなぜか?

ひとつの不幸な結論しか出せなくなった時、悩み、という形で自分の中に固定化する。
固定化した時間が長ければ長いほど、変化させる為のエネルギー、勇気が必要になる。
苦しくても、固執したくても、心のどこか、頭の片隅にでも、自分が新たな境地を見いだそう!
と意識した時、変化のエネルギーが流れ始める。
posted by ミー at 19:25| Comment(0) | 内観(自分調査) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月28日

本当にやりたい事

2499b08df1151131503024f0afc36b17_s.jpg過去の誤解を紐解く。
一生禊ぎの人生。

イヤ〜〜重いね。
重かろうと軽かろうと、今生のライフスタイルはこれに限る!
・・・という事を認めなければならない。

結局は、過去に誤解した事を紐解いていくという作業。
過去の誤解によって、嫌いになってしまった自分を拾い集めていく作業。
嫌いだと思って散り散りバラバラになった自分の断片を、そうではなかった、と自分にひっつけ直す作業。

ひっつけ直す、はちょっと言葉が違うか?
過去の事例、学びをひっくるめて、新たな形を創りだして行くこと。

今、目の前に起こっている出来事が、過去の出来事(とてもイヤだった事、認めがたい事)と
とてもリンクしていて、同じニュアンス、エネルギーを持っている事に気づければ
過去生では大事故だった事が、今生では小さないざこざとなって現れている、という事に気づければ
解決したい焦点がハッキリしてくる。

人間関係を抜きにして、起こっている出来事だけを見つめる事ができれば、自分を再構築しやすい
だろうな、と思う。
posted by ミー at 11:39| Comment(0) | 気づきメモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月24日

甘えると頼る

甘える=できる事をやってもらおうとする行為
頼る=どうしてもできない事をお願いする行為

この定義があいまいで、頼ってきている人に厳しくあたっていないか?

頼られた時は『こんな私に頼ってくれて、ありがとう。』
甘えられた時は『一昨日おいで』


私は甘えるのを我慢してるのに、こいつ、堂々と甘えやがって!
と怒っていないか?
私は人に頼らず頑張っているのに、こいつ、堂々と頼りやがって!
と怒っていないか?

怒りがわいてくる時、自分が我慢している事を、人がやらかしてくれてる事が多い。

甘えるのも頼るのも悪い事ではない。
時と場合とその人が抱えている”我慢”や”制限”がそれ(甘えや頼る)に対する怒りを呼び起こす。
時と場合も関係ないかもしれない。
その人の過去から積み上げてきた定義が怒りを呼び覚ますのだろう。

怒りの壁を通り越して、又は、怒りの壁を乗り越えて、
最終的に、甘えたかった、頼りたかった、寂しいよ〜〜!!
と泣いている自分に出会えたら上々。

泣いている自分は、多分、小さな子供だった自分。
抱きしめて、大丈夫よ、と言ってあげるのは比較的簡単。
(しかし私は、そんな小手先のやり方で、悲しんでいる自分は納得いかなかった。
私の抱えていたガキは頑なだったので。)

難しいのは、当時の自分になって泣くこと。
大の大人が、小さな子供になって泣くこと。
誰は見ている訳では無いけれど『大人なんだから泣くのはおかしい』と思う。
大人になった自分が泣くのではない。
過去を振り返って泣くのでは無い。
当時に戻って、当時の自分で泣くのだ。
当時の自分が泣ききってしまえば、時には文句を言い切ってしまえば
なんでこんな事で泣いていたんだろう?と不思議に思い始める。
それから、甘えても頼っても良い、と思えるようになる。

甘える自分も、頼る自分も許せるようになる。
自分に許せている事は、他人にも許せるようになるのだ。
そうすると、甘えてくる人と、頼ってくる人の見分けもつくようになる。
posted by ミー at 22:20| Comment(0) | 内観(自分調査) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月19日

絶対無理!

絶対無理。絶対受け入れられない!から、受け入れてもいい、受け入れられる、と
少しだけ歩み寄る姿勢を見せる姿と、完全否定する姿と、どちらが自分としては人間的に豊かそうか?

そう問いかけると、多分、歩み寄る姿勢が豊かそうに思える、と思うのだが。

誰かのあの行動がイヤ、絶対無理!
としておくのは簡単。これは否定だから。
しかし、これが鏡の法則で起こっているとしたらどうだろう?

例えば自分に目視できない、醜い浮腫やじんましんが出ていたら。
それが、鏡に映って目視したとたん『いや〜〜ん!あれ!何??気持ち悪い!嫌い!』
と言っているとしたら?
単純に、自分のイヤなものを目視して、それを嫌っている状態。
自分と人との間には、それだけの単純な“事”しか起こっていない。


歩み寄ろう、と意識を持った時。
多分、顕在意識と潜在意識の目的が一致した時、物事はそちらの方に転がっていく。
転がっていく、と言うと、かる〜〜くコロコロという感じに思えるが。
実際の所、ず〜〜っと受け入れられない!という姿勢を崩さずにいたのだ。
これを受け入れようとする、という事は”変化”だ。
自分の中で変化が起こるのだ。
変化が起こると何が自分の中で起こるか?

エゴの活躍。

エゴは維持する事がお仕事だ。
今まで維持してきた”受け入れない”という姿勢を変化させようとする”何か”が動き出した時。

大変だ〜〜〜!!!!私(エゴ)が壊れていく〜〜〜!!!!!
うぎゃ〜〜!!!

さて、エゴがこのように大騒ぎ(断末魔であれば良いが、結構再生力が高いので要注意)する事を
転がっていく、と簡単に表現して良いモノか?
いや、軽くコロコロ〜っと思えれば世話は無い、というのが正直な所。

転がっていく、にしても、エゴの介入を避けて通れないとなると、高い山の斜面を
箱に入れられて(しかも隙間だらけで、場合によってはイガ栗も混入してるかもしれない)
転がって落ちるイメージになるかもしれない。
いや、なる。
実際、そのような状態になる。何度も経験した。
箱の中で、上下左右、自分がどっち向いてるかも判らず、あちこちを打ちつづけ、
方向が変わるごとにイガ栗がグサグサと。
なんて悲惨な。

断末魔の叫びをあげるハメになるのは私か?!

いやいや、しかし、この転がっていく過程で、自分が最初に”受け入れられる”と思った(決心)
さえ忘れなければ、良いのだ。

そこだけに照準を当てて、そこにたどり着ける事だけを信じて。

好きじゃない?
主人公がどんなにいじめられても、苦労しても、貧乏になっても、悲惨な目にあっても
最後は成功する話。
なりたい職業で成功する話。
好きな人と結ばれる話。
殴られて死にそうになっても、信念をつらぬいて殴られてたら、殴っていた対手がビビって退散って話。

そういう話が好きだったり、感動したり、共感するって事は、自分でもやってみたい、という事。
だと思う。
故に、その願いを、その自分の願いを叶えれば良いのだ。
(実は、これが本当に”やりたかった事”なのではないか、と最近思う。)

無条件に歩み寄ろうとする(理解したり、誤解の原因を探す等々)自分、になれるのが
無条件の愛っちゅうヤツに含まれてるのかもしれないね。
posted by ミー at 15:50| Comment(0) | 内観(自分調査) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月18日

ちまちまと

ちまちま、思いついた事をここに書きためているけれど。

ちょっとFacebookへのアップ、という実験をしてみます。

posted by ミー at 15:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする