2015年11月12日

とどまる人

そこに、その領域にとどまる人がいる、という事を確認すると動揺した。

そんな所に留まっていてはダメという否定する気持ちが生まれた。

私はその事に対して、何もしなくていいのだろうか?という焦りが生まれた。

留まる事を批判する気持ち。
鏡の法則(全てはひとつという真理)
人を批判する気持ち→自分を批判している
自分の中の、留まる気持ちを批判している
責めている
嫌っている
だから、人の事を心配しているのではなく、自分を心配しているのだ。
自分に警告しているのだ。
警告?
留まって、とても大変な目にあった事があるのではないか?
自分の魂の履歴の中に、そういう記憶は無いか?
トラウマは無いか?yes?no?
NO。

留まるのは悪い事か?
この世でやってはいけない事は無い(全ては在る、全ては肯定という真理)
留まって悪い訳では無い。
留まって、その領域で自分の力を発揮している人はいる
留まるからこそ、その世界を活性化させている人はいる
むしろ、その業界、その世界で留まる事で、匠は生まれるから悪い事ではない、むしろ良い事、健全とも言える。

全ては変化し続けるという真理があるのだから、そこに留まるのはおかしいのではないか?という事にひっかかっている。
その世界を抜け出る事が変化、という思い込みがある。
いやいや、冷静に考えて。
そんな大きな(世界を抜け出る)変化が起こらなくても、ちゃんとその人達は日々変化している。誰か、私が何かしなくても、ちゃんと変化をしている。私がコントロールしなくても関与しなくても、彼らも変化している、彼らも私も、同じ生命(エナジー)の営みの流れの中にいて、日々ちゃんと、刻々と変化している。だから大丈夫。
ある領域に留まる=停滞というのは、違う。
ああ、勘違い、勘違い!

っちゅう事は、私もどこかに留まって良い。
留まる自分を許せる。

ここまでやって、自分の大きな勘違いに気づいたので、人がどの領域に留まろうとも動揺しなくなった。どんっどん、留まってくれ!

しかし、う〜ん。もうひとつ納得できない。
各領域に留まる・・・その人達と接点が無くなる。
接点が無くなる・・・全ては私、だというのに、接点が無くなっていいのか?
接点が無くなるかどうか、今後の動向で体験して確認していくしか、最終的な納得はできない。
つまり、この先どうなるか?楽しみにしていればいい。
posted by ミー at 00:00| Comment(0) | 気づき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする