2015年11月18日

ちまちまと

ちまちま、思いついた事をここに書きためているけれど。

ちょっとFacebookへのアップ、という実験をしてみます。

posted by ミー at 15:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

苦しみに終わりが無いって事

苦しみに終わりが無いって事を受け入れると人生楽になる。

と言われ、そんな事あるわけ無い!と反発した。
しかし、反発しているだけでは大人げない。
実際、検証もせず、自分の目の前に現れた言葉を否定するのは、論拠がなさ過ぎる。

故に、反論する為に検証をしてみた。

苦しみに終わりが無い・・・細かく言うと、苦しみから解放(喜び)に至る、という事を繰り返すという事。
喜びに至ったからと言って、二度と苦しみがやって来ない、という訳ではない。
いつか終わりが来る、という幻想に囚われていると、もう一度苦しみが来た時、幻想の分だけ苦しみが倍増する。

つまり、喜び、ここでは気づきの喜び、としたいと思う。
その喜びを感じた次の瞬間から、次の課題、ステージが始まっているので、また苦しみがやってくる。

いくつもの山に登っている、ロールプレイングゲームをやっている、オリエンテーリングをやっている、クリアしても次のステージが展開され、そしてそれは永遠に続く。
ゲームなら上がりがあるが、別のゲームを始めれば、また、同じ苦悩の連続だ。
オリエンテーリングだって山だって、場所は変わるけれど、結局、スタートして、障害や道のりを乗り越え、フィニッシュする、という行為に変わりは無い。

ゲームや遊びや趣味なら楽しいと感じられる。
しかし、イヤな事でそれが起こると苦しい地獄と感じられる。
それが地獄だ、と感じられたら、そこから意識を反転させて、どうせ地獄なら、その地獄に対して落ち込んだり、引きこもったり、悲劇と思ったり、嫌気がさしたりするよりも、つまり背を向けるよりも、否定するよりも、消極的になるよりも、こちらがその地獄を飲み込む勢いで、このアドベンチャーを楽しもう!と積極的な気持ちになった方が良いのではないだろうか?

単純に、その方が、体に良いような気がする。
遊び事、好きな事に対して、クリアする事を楽しい、と思える自分がいるのだ。
嫌いな事に対しても、それを応用する自分が居たっていいじゃないか!

ここまで、自分の理論を構築して、しっかりした意識の元に実験。

いや、実験したくてした訳ではなく、そんな事を考えていたら、苦しい事がやってきたのだ^^;

神様(宇宙)って迅速ね。

うぎゃ〜〜〜!あんな人嫌い〜〜!でもそれは自分なのか〜〜?!?!
意味がわからん〜〜?!?!
この前、気が付いたから、もう楽ちん人生でいいじゃないか〜〜〜!!!!

と、文句をタレながら、、しかし、生きる知恵として、頭の隅っこに”これは次の段階の苦しみだ!頑張れ!”というフレーズを置いておいても、損は無いのでは?
頭の隅っこに、そのフレーズを置くスペースを作っておいてやってもいいのでは?
と思い、やってみた。
結果、これが実験となったのだが。

数度、実験には失敗(と言うのか?)するものの、その都度、良い結果(自分の中の心理的数値として)を得られた(つまり、気づきに1週間かかっていたが、4日なり、2日なり、数時間になったって感じ。)。
そして、幾度目か実験。
幾度もしたかった訳ではないが、なかなか腑に落ちなかったので、幾度もやった^^;

結果、それは、そのフレーズ”苦しみに終わりは無い”という言葉は本当。

さて、これは実験と思って始めたが、結局、訓練になった。

苦しみがやって来るのは当たり前

自分はそれをひっくり返す事ができる

そして、その作業時間が、どんどん短くなった

何が来ても大丈夫(^_^)v

こうやって、自分を検証してみると・・・
なんだか、自分も宇宙(森羅万象)の中にいるのだなぁ、と感じられた。
そこから、こういう感覚が得られるとは。
不思議だ^^;
posted by ミー at 15:20| Comment(0) | 内観(自分調査) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする