2015年11月19日

絶対無理!

絶対無理。絶対受け入れられない!から、受け入れてもいい、受け入れられる、と
少しだけ歩み寄る姿勢を見せる姿と、完全否定する姿と、どちらが自分としては人間的に豊かそうか?

そう問いかけると、多分、歩み寄る姿勢が豊かそうに思える、と思うのだが。

誰かのあの行動がイヤ、絶対無理!
としておくのは簡単。これは否定だから。
しかし、これが鏡の法則で起こっているとしたらどうだろう?

例えば自分に目視できない、醜い浮腫やじんましんが出ていたら。
それが、鏡に映って目視したとたん『いや〜〜ん!あれ!何??気持ち悪い!嫌い!』
と言っているとしたら?
単純に、自分のイヤなものを目視して、それを嫌っている状態。
自分と人との間には、それだけの単純な“事”しか起こっていない。


歩み寄ろう、と意識を持った時。
多分、顕在意識と潜在意識の目的が一致した時、物事はそちらの方に転がっていく。
転がっていく、と言うと、かる〜〜くコロコロという感じに思えるが。
実際の所、ず〜〜っと受け入れられない!という姿勢を崩さずにいたのだ。
これを受け入れようとする、という事は”変化”だ。
自分の中で変化が起こるのだ。
変化が起こると何が自分の中で起こるか?

エゴの活躍。

エゴは維持する事がお仕事だ。
今まで維持してきた”受け入れない”という姿勢を変化させようとする”何か”が動き出した時。

大変だ〜〜〜!!!!私(エゴ)が壊れていく〜〜〜!!!!!
うぎゃ〜〜!!!

さて、エゴがこのように大騒ぎ(断末魔であれば良いが、結構再生力が高いので要注意)する事を
転がっていく、と簡単に表現して良いモノか?
いや、軽くコロコロ〜っと思えれば世話は無い、というのが正直な所。

転がっていく、にしても、エゴの介入を避けて通れないとなると、高い山の斜面を
箱に入れられて(しかも隙間だらけで、場合によってはイガ栗も混入してるかもしれない)
転がって落ちるイメージになるかもしれない。
いや、なる。
実際、そのような状態になる。何度も経験した。
箱の中で、上下左右、自分がどっち向いてるかも判らず、あちこちを打ちつづけ、
方向が変わるごとにイガ栗がグサグサと。
なんて悲惨な。

断末魔の叫びをあげるハメになるのは私か?!

いやいや、しかし、この転がっていく過程で、自分が最初に”受け入れられる”と思った(決心)
さえ忘れなければ、良いのだ。

そこだけに照準を当てて、そこにたどり着ける事だけを信じて。

好きじゃない?
主人公がどんなにいじめられても、苦労しても、貧乏になっても、悲惨な目にあっても
最後は成功する話。
なりたい職業で成功する話。
好きな人と結ばれる話。
殴られて死にそうになっても、信念をつらぬいて殴られてたら、殴っていた対手がビビって退散って話。

そういう話が好きだったり、感動したり、共感するって事は、自分でもやってみたい、という事。
だと思う。
故に、その願いを、その自分の願いを叶えれば良いのだ。
(実は、これが本当に”やりたかった事”なのではないか、と最近思う。)

無条件に歩み寄ろうとする(理解したり、誤解の原因を探す等々)自分、になれるのが
無条件の愛っちゅうヤツに含まれてるのかもしれないね。
posted by ミー at 15:50| Comment(0) | 内観(自分調査) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする