2015年12月11日

わかってくれる人はいない 〜私もエスパーじゃねぇし〜

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私をわかってくれる人はこの世に居ない、と嘆き悲しむ時がある。
多々ある。
じゃ、みんな私の事をわかってくれたらどうなるのだろう?
『サトラレ』という映画が流行ったけど、覚られた人は覚られたで悩んでいたなぁ。

私の事をわかってくれない。
私はすぐに人にわかってしまうくらい、単純な人間なのか?
いやいやいや。
そうそう、簡単にわかってもらっちゃ困るわよ。
この私の人生を。この私の事を。

ここはわかって!でも、ここはわからなくていいから。
というのも、勝手な気がする。

だから、この世に私の事をわかってくれる人など、どこにも居なくていいのだ。
だって、私だけの至福の体験ですもの。
似たような体験をして、似たような感覚は持っていても、細かい所が違う。
一致しない。
だから、私の体験は、私だけのモノなのだ。

誰かにわかってもらおう、と思う事が、そもそもの勘違い。
だって、私が誰かの事を完全にわかる事ができるのか?
1つでも、完全に分かる事があるのか?
父の事、母の事、夫の事、身近な人達。

身近で同じ経験をしたとしても、体感としては、それぞれの体験だ。
読心術が使えたとしても、透視ができたとしても、それを見ているのは私。
結局、私の体験、になってしまう。

私が人の事をわからないのだ。
人に私の事をわかってくれ、と言うのは、自分に無い能力を人に求めているって事。
こういうのも、自分を棚に上げる事になるのだろう。
自分にできるのは、せめて共感する事だけ。
あくまで、共感。
わかってる訳ではない。『多分、こうだろうな〜〜???』という推測の元での共感。

自分をわかってくれる人はいない。
だから、わかってもらおう、と思う事自体が、大いなる勘違い。
共感までが、お互いの最大の接近なのだ。

どうせ、誰もわかってくれる人はいない、と嘆いていても、
私の事をわかって欲しい!と嘆いていても、
いや、分かってもらえないのが普通、つぅか、わからないのが正常だから。
とすれば、嘆いているのもバカバカしくなる。

どうせ、誰も私の苦しみをわかってくれない、とアピールするより、
私の苦しみを分かって欲しい!とアピールするより、
いやいや、この苦しみは、誰にも体験できない、私だけの体験だから、
誰にも見せないわよ。もったいない!と、考えるのも面白いかもしれない。
誰にも味あわせないわよ!と悦に浸るのも面白いかもしれない。

”あなただけの、特別な体験!至福の時!”
これを、エステやマッサージだけじゃなく、自分の過去の体験(特に苦しい事)に適応しても、間違いじゃないと思うの。
変人、と呼ばれるかもしれないけどね。
posted by ミー at 00:39| Comment(1) | 心模様 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月08日

嫉妬 〜それは媚薬かもしれない〜

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私は自分の嫉妬心や独占欲とずっと戦ってきたように思う。

一旦、それらと闘うのをやめて降参してみた。

好きにあばれればいい、私の手に追えないから。

それから、こうも思った。

物事は自分の思った通りには決してならない。

ネガティブであればネガティブであるほど、

よくよく考えてみれば、

よくよく状況を監察してみれば、

自分が消えるという、最高に望んでいた状況になっていない、と。

どうやっても消えない自分。

ゆえに、どうあがいた所で自分一人の考えじゃ、思った通りにならない。

必ず、何かしら、サムシンググレートみたいなものが、働きかけている。

そしてそれが、愛と呼ばれるモノなのだろう、と。

とはいえ、嫉妬や独占欲を悪モノにしたままでは、可哀想な気がする。

せっかく、この世に在る感情なのだから。

嫉妬や独占欲も使いよう。

嫉妬して、自分を攻撃する事無く、自分を向上させる原動力にすればいい。

あの人が羨ましい・・・私はあんな風になれない、悔しい(T_T)
あの人が羨ましい・・・あの人にはなれない、けれど、同じように輝くべく頑張る!

これを私だけのモノにしておきたい・・・みんな、近寄ったら殺すぞ!
これを私だけのモノにしておきたい・・・そのモノが居心地良い空間を作ろう^^v

もしかしたら、嫉妬や独占欲という感情に、逃げていたのかもしれない。

その感情があるから私は醜い人間だ、という所に逃げ込んで、美しい自分(全てを許せる自分)を

見ないようにしていたのかもしれない。

美しい自分を見ない事で、きっと、何かメリットがあったんだろう。

いずれにしろ、嫉妬や独占欲で自分を傷つけるのはもったいない。

ただでさえ、いろんな事で傷ついているのだ。

もしかしたら、これも自傷行為という甘美なモノで、苦しいながらも酔いしれていたのかもしれない。

それならば、そうでなくても、これ以上、自分を傷つけない方法を探っていきたい。
posted by ミー at 15:01| Comment(0) | 内観(自分調査) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月05日

悪人魂〜涙ぐましい努力を止める時〜

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自分が悪人だと思うのを辞めました。
わたくし、これから、天使になります(^^)d
悪人だったから、悪人だった事を許せないから、ほら、私はやっぱり悪人でしょ!!
許さる訳はないんだわ!!と、夫に、私の醜悪な姿をゴリゴリ見せておりましたが、やめます。

なぜ止める気になったか?
そうやって、自分の醜態を一番身近な人に晒して、その人に許してもらおう、としている
自分の魂胆が見えたから。
人に許してもらおう、としていた自分を見つけたから。
そうやって、醜態をさらすことを現実化している、っていう事は、天も人も許してるっちゅう事で、たった一人、私が私を許していなかった事が見えた(気づいた)から。
私だけが、私がまた、悪いことをしないよう、暴走しないよう、私をがんじがらめに縛りつけてた事がわかったから。

さて、縛っていないと私は暴走するのか?
しないんじゃないかな~?充分反省したし、検証もしたから、また同じ間違い(悪さした事)はしないと思う。また間違っても、誰かが指摘してくれて、軌道修正を手伝ってくれる。
だから、自分を縛るプレイをやめて、自由になっても大丈夫だ。
自由になろう。その為には、悪人で醜悪な自分を許す事。

醜悪な私は居るよ。共存してるよ。
だからと言って、その事に重点を置いて、その事ばかり意識して、何かあれば、
自分が悪人、悪者になる、というパターンを反転させようと思った。
美しい私もいるのだ。
だったら、その事に重点を置いて、その事ばかり意識して、何があっても、私は美しい
善の心を持って、他人にはもちろん、自分にも関わっていけばいいじゃないか。

今まで、散々、極悪な自分をリスペクトして生きてきたのだから。
反転して、善人なる自分をリスペクトして生きてもOKよね。
何をしてもいい、全ては肯定、オールOKなんだもの。

この世が鏡の世界なら、輝いている自分でいれば、鏡に映った自分も輝いている。
この世が鏡の森ならば、どれだけのきらめきになるだろうか?

もっと言うと、鏡(相手)の望む姿または鏡(相手)に見あった姿、もしくはそれ以上の美しさを映し出しても良いな~と。

何をやっても許されている、というのが真理なら、自分を縛る、お仕置きプレイをしても良し、失敗先生で、悪行を糧に善人へ、ついでに天使へと更正しても良し。

悪行を悔いて、立派になっている人はたくさんいる。
私も、その一人になっても良いではないか!
知らない間にかけていた制限。悪い事をしたら罰し続けられなければならない。
更正してはいけない。
はい。これ却下。
posted by ミー at 22:59| Comment(0) | 内観(自分調査) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月03日

落ち込んでも

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落ち込むな!とは言わない。
正直、毎日、毎秒、落ち込んでいる。
毎秒落ち込んでいるから、毎日落ち込む事になる。
そのうち、落ち込む事に慣れて、そこの居心地が良くなってしまう。
抜け出せなくなる・・・
冬の朝、暖かい布団から抜け出せない時のように。

落ち込んでいる事、めげてる事、拗ねてる事、の奥底の方には
自分を許せていない、という理由がとぐろを巻いている。
人に何かされたから、落ち込んでいる。
何かした相手が悪いから、私は落ち込まされている。
その下には、何かされた時、自分の本位で無い行動をとってしまった、から落ち込んでいる。
その下には、かつて私もそんな事をしてしまったから、落ち込んでいる。
その下には、そんな事をしてしまった自分を許せないから落ち込んでいる。
その下には、私はそんな事をした悪人だ、と自分を責めている。
その下には、自分に責め続けられている自分が居て、がんじがらめになっている。
落ち込みの土台は、がんじがらめの自分だったりする。

自分の心を微細に分けていくと、最終的に、自分を許せていない、いわゆるブロックが
姿を現す。

毎日、何かしら事件(心騒ぐ事)は起こり続ける。

『事件は会議室で起こっているんじゃ無い!現場で起こっているんだ!』

さて、会議室とはどこだろう?頭の中か?
現場とはどこだろ?現実の世界か?

一見、そのように見える。
しかし、実は、逆なのだ。

会議室とは現実の世界。
現場とは頭(記憶や思考や知識、経験)の中。

情熱(気力と体力)を持って、現場に当たるしかない。
青島刑事のように。

・・・脱線してしまった。

落ち込む時、落ち込み続ける毎日の時、自分がイヤになる事件が起こり続ける時、
こんな事を起こしてしまう自分が居る、と嘆き悲しむかもしれないが、
希望の言葉も同時に持っていたい。

『今、私は、体力を付けているのだ。ひとつでも許せる事を増やせる体力を。』

許し=愛=大元の私(本来の私、とも言う)

本来の私に戻りたい、それは、過去の全ての自分を許したもう事。

全て許す事ができるのか?
いや、今でさえ、ひとつでも許せている事があるのか?
だって、こんなに、こんなに、毎日混乱しているのに。

もうイヤだ!こんなに落ち込むなんて、つらいなんて!
不安で不安で混乱した中、小さく小さくなった時、和久さんに言われた気がした。

『で、おまえさんどうするよ?このまま諦めんのかい?』

がんじがらめの自分を置いてけぼりにするのか?
それとも、からまった糸をほどいて”ぷりん”っとした”ツル”っとした
ピュアな自分を救出するのか?

こりゃ失敬。
諦めてる場合じゃ無い。
諦めてるヒマがあったら、救出に行きますよ!
posted by ミー at 23:39| Comment(0) | 内観(自分調査) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月02日

自分が何をしているか

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自分がいったい何をしているのかわからなかった。
心の事を探求する事は、とてもとても個人的な事で、だからと言って
世の中の役に立つのだろうか?
こんな事をしていていいのだろうか?
そんな風に思っていた、らしい。
水木先生の幸福の7箇条を読み、彼のざっくりとした経歴(戦争体験等)を思い出し
彼が、なぜ妖怪を書き続けていたか?に思いを馳せたら、そうなんだ、と思った。
これは、彼が自分の大好きな事で平和活動をしていたのだな、と。
やむにやまれずやってしまう事(好きな事)を通して、戦争が二度と起こりませんように、と
祈っていたのだな、と。

見えない世界を信じる事。
この一文の中には、色々と読み取れる気がする。
妖怪や幽霊のようなモノの居る、見えない世界。
心のように、実態の無い感覚の、見えない世界。
人が掛けてくれる情け、行動、が自分に見えていない時の、見えない世界。
何者かはわからないけれど、大いなる力が働いたと思える時に感じる、見えない世界。

結局は、見えている事、自分が想像している事だけがこの世ではないよ、と
思える時、人は豊かな気持ちになれるのではないか?と思う。
その、豊かな気持ちを持ち続ける事が、結局は、平和に繋がっていく。
自分の平和に繋がっていく。
自分さえ、平和でいられれば、世界は平和なのだ。
この世に住む、一人一人が、平和で居れば、争う必要が無くなるから。

平和=穏やか=リラックス=至福の状態として書いています。
posted by ミー at 22:07| Comment(0) | 心模様 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする