2016年02月29日

PCMを受講しました!・・・って半月も前の話だけど^^;

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PCMというコミュニケーションツールを習ってきました。
と、言っても、もう半月も前ですが。
コミュニケーションツール、という言い方は軽いかな?
ツール、というよりは理論。
その理論をツールとして扱えれば、身につけられれば、と思う次第。

コミュニケーションだから、人との関わりなんだけど、私の中の収穫は
自分がストレス状態になってる状態が、客観的にわかるようになったって事。

自分のパーソナリティが主にどんな特徴を持っているか分析できているので
その特徴を持った人が、 ストレス、つまり心的欲求が不足している状況にあると
どういう行動に出るか、まで、分析されている。
故に、自分の思考がこういう風に偏っていったら、あるいは、こういう行動を
し始めたら、自分は何か欲求不満があるのだなぁ、とわかる。

今までは、それはエゴに飲み込まれている状態、という風にしか理解できなかった。
だから、エゴを押さえよう、コントロールしよう、という事に意識が向いていたように思う。
もう少し、つっこんで、なぜ、エゴに翻弄される自分になるか?まで考えた至っていなかった。

単純に、疲れていたのだ。
心が疲弊していたのだ。
自分の欲しいご褒美が与えられていなかった。
逆に言えば、自分で自分にご褒美を与えていなかった。

確かに、心の調子がいい時は、この世の中、気にならない事だらけだ。
まぁ、それは、そういう風になってるから、それに対処しましょ。
と余裕をかませる。
全て”YES”と思えて、どんな大きな波も乗りこなせる。
けど。
エゴにのまれ始めると、とたんに世の中を斜めに見始め、いじけて拗ね始める。
(やってる間、そういう自覚は無いけれど、あとで振り返ればそうなのだ)

同じ私なのに、対応がまるで逆。
このギャップにも苦しんでましたね。
けど、これ、心のエネルギーが不足していただけ。
(だけ、とは限らない場合もありますが・・・)

そうそう。少しはわかっているのだ。
疲れているだけだ、と。
だから、ゆっくりしたり、美味しいモノを食べてみたり、好きな事をしてみたり。

でも、PCMを習って、思い知ったの。

わたくし、自分に与えるご褒美の種類を間違えていました〜〜〜〜!!!!

PCMを習って、自分のパーソナリティを知って、思い知った。
自分の事を、あまりにも知らなすぎ。
(いや、見たくなかったが正解か?だって、あまりに女性らしさが無い_| ̄|○)
だから、今まで私は、自分に与えるご褒美を間違えていた。
いや、世間に合わせすぎていた、というか、他の人のやる事が正しいと思いすぎた、
いや、女の人らしい事をしようと頑張って”女子”のやりそうな”理想”のやり方をしてた。

そんな事、無理しないとできないのにね。

それこそ、ストレスだよ^^;
posted by ミー at 13:38| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月11日

問いかけ 〜私へ〜

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息をしているだけで、生きているだけ、それで十分幸せだ。
しかし、それだけでは満足できない、満たされない自分が居る。
何を嘆いているのだろう?

本当の嘆きはどこにあるのだろう?
表面的な嘆きにすり替えている、本当の嘆きは何だろう。

教えて。
私の、今の、本当の嘆きは何だろう?
失う事?失望される事?同意されない事?私の気持ちを解ってくれない事?
裏切る事?自分への評価が低い事?蔑ろにされた事?努力を認められない事?

努力を認めていないのは誰?
人に認められれば気が済むの?
誰かに認められれば気が済むの?
一番尊敬する人に、一番好きな人に認められたら気が済むの?
その人の言葉を『ああそうですね』と信じられる?
信じられる?喜べる?
一番認めたいのは、自分自身ではないの?

『私は頑張ってる。いつか必ず実を結ぶ!』
自分を信じるってそういう事じゃ無い?
『私は頑張ってる。いつか実を結ぶ。それがどんな形であれ、
それが、私にとっての幸せの実、幸福の果実』

そうやって頑張ってる姿を、神様がちゃんと見ててくれる。
神様が、天が、誰かが・・・ちゃんと見ててくれる。
posted by ミー at 23:39| Comment(0) | 内観(自分調査) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月02日

対極 〜考え方までCD化してないか??〜

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陰陽、天地、表裏etc.
忘れがちなんだけど、物事にはかならず2つの面がある。
レコードの時代はA面B面。
表と裏に(針で)読み取る情報があったのだけれど、CDって片面だけに
情報があるんだよね。
だから両A面。2曲共、A面扱い。B面が無い?!
表に出ないマイナーB面があるから、それが隠れた名曲だったりしてファンの心をくすぐるのに。
今は、両方ともメジャーなのだ。
CD化が進んだ時、2曲目の存在価値は疑われたのだろうか?
2曲入りの必要があるのだろうか?って。
・・・脱線^^;

レコードだけじゃなく、物事には両面がある。
その両面を観る人間が在って、それが三位一体って言うんじゃないかな?
と最近は思う。
片方の面だけ観ていると、考えが行き詰まる、堂々巡りになる。
片方だけフォーカスするという事を、シーソーの片側に重たい物を乗せている
とイメージすると、それはうまく機能しそうにないな・・・って想像できると思う。

陽極まれば陰となる。陰極まれば陽となる。
陰陽を知れば、中庸で居る事ができる。
自分がリラックスできる立ち位置、心の置き場所を探す事ができる。

神道の世界では、陰陽を火(か)と水(み)という事で表現したらしい。

いずれにしろ、昔の人は、物事の両側面を観るという事に至ったのだろう。
それを知っていたのか、見いだしたのか?

自分を一方的に責め続けているのなら、自分を擁護する事を忘れていないか?
自分には『私が悪い』という片面しか持ち合わせていない、と思い込んでいないか?
自分は不幸だ、と思い続けているのなら、本当に不幸な側面しか持ち合わせていないのか?
幸せだった時は一度も無いのか?不幸しか無い、と思い込んでいないだろうか?

常に常に、中庸を意識する必要も無く、だから、常に常に、片方だけ意識する必要も無く。
片側に寄り続けているな、と気づく事が重要で。
気づいたら、あれ?もう片方は???と探してみると良い。
探し出せると、結構な確率で、自分の偏り具合に『ぷぷっ』と吹き出すと思う。
というか、吹き出す余裕が出てきてほしいものだ。

ま、意識せずとも。
片一方の考え方に、ぎゅーぎゅーぎゅーぎゅー寄っていれば、案外、自然に、反動で
反対側の考えに、ぴょ〜〜ん!と飛んで行くかもしれないね。
























posted by ミー at 23:32| Comment(2) | 気づきメモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする