2016年04月28日

わたくし、間違っておりました!

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わたくし、間違っておりました。
今まで、勉強したことや自分の経験から、つまり、自分の知っている事の中から、答えを見つけようとしておりました。
自分の想定範囲内で、予定調和内で、答えを見つけようとしておりました。

でも、違うのですね。
ぐるぐると同じ所を回る答えを打開するには、全く違う所から答えを持ってこないといけない。
この世に、私の知らない事はまだまあ有る、と、自覚する事が大切なのだと。

ある程度生きてくると、いや、ある程度生きていなくても『私は全ての事を知っている』という思いになりがちですが、
実は、生きるという事は、毎回、毎回、新しい事がやってくる瞬間の連続で、いつも、いつも、新しい対応を求められているのです。
でも、私は全て知っている、と思っていると、私はこの事に対する、対応の仕方を知っている、と思い込んでいる訳です。
そして、その対応を当てはめようとする。
ところが”今”というヤツは、今、この瞬間の判断によって、新旧の知恵経験を織り交ぜて、更に新しい対応を求めているのです。

今までの知恵、経験(私は全て知っている) VS 今までの知恵、経験を踏まえて新しい対応を生み出す(私は何も知らない)

今まで通りの対応をしようとする自分 VS 新しい対応を求める”今”

常に、常に、このせめぎ合いをやっているのではないでしょうか?

言い換えると、変化を許さない自分 VS 変化を許している自分

文字を見ているだけで、人生うまく行かなさそうな気がする^^;

この世に”今”という瞬間しかない、というのであれば、変化しない自分、つまりは、これまでのまま、落ち着こうとしている自分は
この世の法則に逆行している、という事。

あーあ。
そりゃ、うまくいかんわ。

今まで通りのモノの見方をしていると、今まで通りの事しか見えてこない。
人間関係も同じで、今まで通りの感覚で相手と対峙すると、自分の知っている事しか見えてこない。
もし、相手が、私の知らない体験を踏まえ、私の知らない感覚を持っているという見方で対峙すると
相手が、今までとは、少し違った、あるいが全く違った人物に見えてくるのではないだろうか?




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2016年04月17日

言葉を違う角度から捉えてみる

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エゴ、と言うヤツは悪いヤツ。
心の内側を観る作業をしていると、どうもエゴは悪者になっています。
盗人にも3部の理。
悪いヤツにも、そうなる為のプロセスがあり、全部が全部悪い訳じゃ無い。
エゴも悪いばかりじゃないんだよ。
そう思いつつも、やっぱり、それに翻弄されては人生がうまくいかないのよね。
わかっちゃいるけど・・・・

私は自分中の光を見るのがとてもイヤ。
悪の化身でいたいの。
黒い部分一色でいいわ。
黒いのの、何が悪いの?
これは、結局のところ、自分の中に光があると、黒い闇の部分が
正当化できないから、光に居てもらっちゃ困る、という私の理論。
密かに隠し持っていた理論。

我ながら『へぇ〜〜〜?!』
(満へぇモンだぜ)

先日、金田一公美ちゃんとLINEをしていて、その話しに。
『闇ってつおいのよね〜』
と、公美ちゃんにお返事頂いて、そうそう、なんて思ってたの。

闇は強い(極太、重い、どろ〜〜ん、って感じ?)
光は弱い(繊細、微細、さらさら〜〜って感じ?)

こんなイメージを頭で描きつつ、そうそう、闇は強いのよね。
なんて思っていた。

ふと、闇は強い・・・闇の強さ=ガラが悪くて、力で押してくる、そう、それはまるで・・・

タチの悪いヤ〇ザ!

キャーーーーー怖い!!!!!\(◎o◎)/

闇がつおい=ヤ〇ザ、と繋がってしまいました。

つまり、エゴに囚われ自分の聖なる部分、知性や理性から逃げてる、隠れてるって事は
エゴを盾にしているって事で、エゴに守られてるって事で、言葉を変えると

私、ヤ〇ザに守られてました〜〜っ!!!!

セーラー服と機関銃、みたいな、良い感じの任侠の方々(ヤ〇ザと任侠は別種と考えてます)
に守られるではなく、力(暴力や脅し)で相手をねじ伏せようとする輩達。
こんな人達を盾にして、身を守ろうとしてたなんて!(オーマイゴ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ)

それ、やめます。

ボディーガードなら、爽やかイケメンがいい!
正しい腕力の使い方をわきまえた、知性的な殺気を持つイケメン←難易度高い?
紳士?騎士?忠実なイケメン近衛兵?
そんな感じの人達に守られたいわ∈^0^∋
そう、アンドレみたいな・・・(´∀`*)

真剣に、早急に、ボディーガードの人事異動をしようっと(ノ^^)ノ

闇でなければ光をともす事もできない。
光でなければ闇を炙り出す事もできない。
両方あるなら、闇ばっかりかわいがっても、光が拗ねるわねぇ。
不公平だもの。
両方持ってていて、適材適所に使えればいいか。
上司としては、ちゃんと使い所を見極めないとね!

ん?
そうか、私は私の上司なのね。

それにしても・・・薬師丸ひろ子ちゃんはかわいい!←世代です^^






posted by ミー at 11:25| Comment(0) | 内観(自分調査) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月15日

言葉を違う角度から捉えてみる 〜服従〜

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服従する。
服従、というと、いや〜な感じがする。
押しつけられてる感じ。
服従というものを、少し別の角度から見てみた。

もしも、相手が電機炊飯器だったら・・・
うーん、完全に服従していますね。
電機炊飯器の言うとおり、つまり、コンセント入れてスイッチ押さないと、お米は炊けないですよ
って言われてるから、その通り、服従しております。
電機炊飯器に使われちゃってますよ。
でも、電気炊飯器を使いたいから、あなたの言うとおり、スイッチを入れますわ。
決して、自分独自のやり方がある!と気張って、電気炊飯器の橫にあるガスコンロのスイッチをひねったりはしませんもの。
こうやって私は、あらゆるモノに服従している。
逆の言い方をすれば、服従しようと思えばできるだ。
しかも、自主的に。
そのものを適切に使いたい、と思えば、何だって服従できるのだ。
思えば、生活は、服従にまみれている。
引き戸を目の前に、自分の独自の法則で!と押しても引いても開かない。
引き戸だから、橫に開かなきゃ、開かない。

その用途を用途として使おうとしている自分を『服従している』と見なしてみれば
生活は服従だらけ。
これって、ちょっとしたコメディじゃないかしら?

服従、という言葉に、ちょっと違和感、あるいは、並々ならぬ違和感をお持ちの方、
ちょっと角度を変えて見てはどうだろうか?
『こんな事に服従はできない!』とか『服従できる性格じゃないのよ!』と息巻いているかたわら
結構な割合で服従している自分、出来ている自分。

服従・・・やればできるじゃん!てか、そんなに難しい事でもえげつない事でもないじゃない?
って気になりませんか?

全てはひとつ。
与えたモノが受けとるモノ。
私は存在している。
全ては変化し続ける。
これらの法則をうまく使おうとすれば『服従』してしまうのが、手っ取り早いのだろうな。
と、美味しいご飯が炊けるのを、電気炊飯器の前で待つのでありました。





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2016年04月04日

それも答えなのか・・・ 〜かなりショックです〜

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生まれた理由を考えていた。
なぜ生まれたか?
ではなく、なぜ生んだか?
どういう理由で、母は私を産んだのか?
どういう理由で、父は子を作る事にしたのか?
どういう理由で、両親は私を産んだのか?

こういう疑問を持っている、と言ったら、周囲に不思議がられた。
どうも、わたし独特の疑問らしい。

子供が欲しいとはどういう事なのか?
子供を欲しいという欲求はバックや靴を欲しいと思うのと同じではないのか?
子育ては大変だ、という情報を持っているのに、なぜ欲しいと思ったのか?
友人達は子供を持っている。
その大抵が、子育ての悩みを持っている。苦しんでいる。
そういう親でも、そうでない親でも、子供がいる喜びはひとしお、とも言う。
けど、私の耳に入ってくるのは1割喜び、9割愚痴、な気がする。
(あくまで、私がそう捉えてしまう、という事だけど)
子供が欲しいと思うのは、結婚して子供が生まれる、という事が普通だから
何の疑問もなく、世間体で子供を持つ事にしたのか?
結婚して子供が生まれ、そのまた子が生まれ、というのが豊かな人生だから
自分の人生を豊かにする為に、子供を持ったのか?

子供が産まれたかったから、産まれた、という話しもある。
それも知っているしよく解る。
種の保存、本能、っていうのがあるのもわかる。
カルマの法則で、っていう事もわかる。

だから、どういう理由で産まれたか?という疑問は、とっくに解決していた。
ところが、また、浮上した。
もしかしたら、今抱えている課題のサイドストーリーとして浮上してきたのかもしれない。
しかし、浮上すれば、メンタルがメタメタだ。
だだっ子のようになる。いや、気分は単なるだだっ子状態としか言いようが無い。
親には感謝しているし、私が望んで産まれた事もわかっている、にも関わらず、
『なぜ私を産んだ?!?!?!』
という疑問と共に、うんざりするような拗ねた気持ちがおさまらない。
こんな疑問を持ってる事自体、親が知れば悲しむだろう、というのもよくわかる。
だから申し訳無いなぁ、と思うけれども、浮上した物は、自分が納得する答えを
得られない限り、霧散してはくれない。
疑問とその疑問を否定しようとするのに心がざわつき、どんよりだ。

ところが。
お風呂とはありがたいもので。
浮上した疑問のお陰でどんよりMAXになった頃、ちゃぽんとお風呂につかったら
パカッと閃いた。

『理由は探さなくて良い』

え?あ?え〜〜?!?!
理由は探さなくて良い?
ああ、そうか、探さなくていいんだ。
すとんと腑に落ちた。

いやいやいや、答えは必要でしょう。
理由は必要でしょう?!
答えや理由や動機は探さなければならんでしょう!

腑に落ちた後で、しばし混乱。
しかし、脳内でジタバタやりつつ、探さなくて良い理由がなんとなく浮かんだ。
要するに、ひとつの正しい答えを探さなくて良い、という事。
私を産んだ理由はひとつでは無い。
母の、父の、あんな思いやこんな思い、それからいろんな考えがあっての事。
だから、ひとつの理由を探そうとするなら、その必要は無い。
理由はたくさんあるから。

どうしても、ひとつの正しい答えを欲しくなってしまう。
無意識に『ひとつの正しい答え 』を探している事すら気が付かなかった。
理由を探している、と思っていたけれど、本当に欲しかったのは
『正しいひとつの理由、正しいひとつの答え』

そんな物は無い!

自分が何かをする時だって、この理由!と明確な一つの動機だけっていう事は
なかなか無い。
むしろ、複数の理由、要因から事を起こす事の方が圧倒的に多いのだ。
そして、動機というのは、人それぞれなのだから、動機は人の数だけある。
正しい、ひとつの答え何て物は、この世に存在しないのだ。
存在しない物を探しても、時間の無駄。
だから探さなくていいのだ。

理由は、答えは、探さなければならない、と思い込んでいたのだろう。
実は、探さなくていい場合もあると知って、一気に気が楽になった。

いったい何を真剣に悩んでいたんだろう?
思い詰めていた自分が可笑しくなった。
posted by ミー at 01:21| Comment(0) | 気づきメモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする