PCM受講して〜子供の頃を振り返る〜

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PCM受講の続き。

はーっ・・・
いつから、そんなやり方をするようになったのか?
遡れば・・・多分、小学生の頃は、まだ、自分で居られたのだろうと思う。
多分、思春期。
大方の女子がフワフワしてたり、するのを見て、あれ?

俺のとは違うなぁ。(『臨場』内野聖陽さんの決め台詞・・・知ってるかなぁ?)

俺、とは言わなかったけど、あれ?違う?!と思ったのは確か。
そのあたりから、自分のエネルギー補給方法を、ゆがめてしまったのかも。
自分の周りには、女の子らしい人が多かった。
と、思ったけれど、冷静に思い出せば、案外そうではなかったような。
ごく、身近な友人は、決して女の子らしくはなかった。
単純に、自分がああなりたい、という理想を持ってしまっただけ。
自分を否定してしまっただけ。
私の中の女の子らしいイメージは大多数の人の事で、私および私の友人は
少数派だったって事。
この少数派に居る自分を認められず、大多数に入りたかっただけ。
自分自身の個性を認めるより、自分を否定して大多数に混じった方が
楽だったのだろう。私にとっては。
ざっくりなひとくくりの中に居る方が楽、というより、その方が良い事なのだ、
と勝手に思っていただけ。

子供ながらに考えた、必死の処世術だった、と思う。

そんな所からエネルギー補給に関しては、ゆがみ始めてしまったのだろう。

こんな事ひとつ取っても、人の心というモノの成り立ちを考察できる。

自分は人と違う。
最初は小さな違いに疑問、違和感を持ち、いずれ、違って良いんだ!と
思えるようになるか?
もしくは、違うと嫌われる、怒られる、仲間はずれになる、なんて出来事が
あったとしたら、人と自分の違いはあってはならない!と思い込むようになるか?

人生の分かれ目。

自分の中でも、この件に関しては違って良い!と開き直れるけど、この件に関しては
自分の違い(容姿、感性、感受性等々)は認めらんねぇ!!!!
と、自分の個性を押し殺している部分があるんじゃないか?と思う。

そして、苦しい人ほど、否定する部分を重要視している、自分の中の大きな部分を
占めている、という事になると思う。
かつては私もそうでした。

『良い人間に成長する為には、悪いと思われる部分を戒め、矯正していく事が正しい。』
という、どこかしら、潜在的に思い込んでいるモノ、信仰があったから。

悟った人の話では、この世は何であっても、何をしてもOK!と言わっしゃる。
覚醒した人は口々にそういう。
じゃ、どう生きてもいいわけよ。
どう在ってもいいわけよ。
じゃ、良い人間に成長しなくてもいいわけよ。
逆に、良い人間に成長してもいいわけよ。
でしょ?

結局、自分の動機が一番大事。
『良い人間に成長する事が良いことだ!』と教えてくれたのが、
父、母、尊敬する人、大事な人がであったから、それに合わせて自分の軸としているか?
そう教えてもらった。そして、自分でもそれが『心地良い!』『元気になる!』という
体感もあるので、自分の軸、指針にしている、という事なのか?

私は、花を愛でたり、かわいらしいモノを見て癒やされるタイプではなかった_| ̄|○
キッチリかっちり、エクセルの表できあがる方が、数段、気持ちが晴れやかだ。
スケジュール通りに物事が進む方が、ずっと癒やしになる。
もうひとつの特性として。
たった一人で、考え事をする時間が結構必要。
(一人は淋しいものだ、という思い込み、刷り込みがあったので、
一人の時間は淋しがるモノだ、だから淋しがろう、としていた模様^^;)

自分のエネルギー補給に長けた人は、自分が芯に欲するモノをよくわかっている
のだと思う。
迷いもなく、それをやってしまうのだろう。
思えば、私は、それが下手くそだったという・・・

自分にご褒美!の意味が、ようやっと理解できたPCM受講でありました。

この記事へのコメント

  • 松井知子

    ふわふわ女子とは違う・・・私も思ってました。
    私が中高校生の頃は、コテを学校に持ってきてクリンクリンしてる子が多かったな~
    私はめんどくさがりなので、そんなことできず、(自分はマイノリティ=少数派)だという劣等感を持ちつつ、女子らしい人たちに合わせることもできず少し苦しかった。
    でも、私の場合、このままの私を受け入れてくれた友達がいるのが救いだったかな?

    おっと、自分のことばかり語ってしまった・・・
    ミーさんはいつも可愛い着物着てますが、着物には癒されてますか?
    私も女子らしい部分が少ないけど、着物には惹かれるんですよね~(^▽^)/
    2016年03月01日 21:43