2016年03月09日

司馬遼太郎さんに学ぶ 

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無思想という思想。
これが日本の柔軟性の根底になっている。
他国の文化を取り入れ、独自のスタイルにアレンジ。
日本古来の神道と渡来の仏教の共存。

NHKスペシャル『司馬遼太郎』さんより。


何かになろう!という意思は無い。
何者にもならなくていい。
それこそが、日本の柔軟性。

何かになろうとすると、そうでは無い物を排除したくなる。
何かになろう、という気持ちがなければ、目の前の事を受け入れ、それを取り入れる事で
変化に乗っていける。

どちらがいいと言う訳でもないし。
どちらもひとつの生き方。

甲乙つけがたく、また、自分の中に、どちらもある。
故に、どちらの生き方が、今の自分に合っているか?と、その時々で、使い方を変えてもいい。

何かに突出して居る人、それに集中している人。
1つの特技がある人。
何かになろう!と決めて貫いている人が羨ましかった。
どうして私はそういう心境になれないのだろう?
何をやっても、かじるだけで、続かないし。
そういう自分にホトホト嫌気がさしていて、何か、1つの技術を身につけたい、
なんぞと思ってみたりもする。
けれど現実化はしない。(妄想だけで行動しない)

日本人の根底にある『無思想という思想』という考え方を聞いて
ああ、そうなのか、と楽になった。
なんたって、わたくし日本人。
漏れなく、この思想と寄り添っているはず。
何者にもなりたくない自分で良かったんじゃん。
それを評価するも、ダメだしをするも、視点の違い。

何者かに成りたい!と思わないから、何者にでもなれる数多の可能性がある。
1つの固定化した何かになりたい!と考える時よりも、何者かになる可能性がある。
それは成ってからのお楽しみ!とした方が、わたし的には気持ちが爽やかになる。

なんだ、わたしは無思想という思想という生き方の方が好きなのだ。
何かを目指すって性に合わない。

カッコ良く言えば、人生の中で切磋琢磨され、最後の時にどんな形になっているか?
どんな輝きを、どんなカットになるダイヤモンドが出来上がるかを楽しみにしている。

いやいや、ダイヤモンドじゃなくても。
『こんなん出ましたけど?』と、自分でも『これは珍妙な?!』と言える
モノが出てくるといいなぁ、と思っている。

なんと!
書いてて、ここで本音が・・・

私は”美しい”でも"素晴らしい”でも”立派な”でもなく、

『珍妙な!』

というモノが見たいらしい。

『変わっている(変わり者の意)』と言われる事がイヤだと思う自分がいた。
普通に、無難に、幸せに生きて欲しい、という親の願いを叶えようとすれば、
変わり者の自分は、親を裏切っているようでイヤだったのだろう。

『変わっている(変わり者の意)』と言われる事がイヤだと思う自分がいる。
そえは自分を賛美する言葉だから、他人に言わせていたのだろう。
けれど、それを聞くのはまだ早い、時期尚早、と思っていたのだろう。

『変わっている(変わり者の意)』と言われる事がイヤだと思う自分がいた。
変わってる、という本人を中心にすれば、その人以外は、ほぼほぼ変わり者だろう。
私を中心にすれば、私以外は全員変わり者って事に気づいていなかっただけ。

そう。
この世は全員変わり者の集まりなのだ。

posted by ミー at 13:36| Comment(0) | 気づきメモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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