それも答えなのか・・・ 〜かなりショックです〜

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生まれた理由を考えていた。
なぜ生まれたか?
ではなく、なぜ生んだか?
どういう理由で、母は私を産んだのか?
どういう理由で、父は子を作る事にしたのか?
どういう理由で、両親は私を産んだのか?

こういう疑問を持っている、と言ったら、周囲に不思議がられた。
どうも、わたし独特の疑問らしい。

子供が欲しいとはどういう事なのか?
子供を欲しいという欲求はバックや靴を欲しいと思うのと同じではないのか?
子育ては大変だ、という情報を持っているのに、なぜ欲しいと思ったのか?
友人達は子供を持っている。
その大抵が、子育ての悩みを持っている。苦しんでいる。
そういう親でも、そうでない親でも、子供がいる喜びはひとしお、とも言う。
けど、私の耳に入ってくるのは1割喜び、9割愚痴、な気がする。
(あくまで、私がそう捉えてしまう、という事だけど)
子供が欲しいと思うのは、結婚して子供が生まれる、という事が普通だから
何の疑問もなく、世間体で子供を持つ事にしたのか?
結婚して子供が生まれ、そのまた子が生まれ、というのが豊かな人生だから
自分の人生を豊かにする為に、子供を持ったのか?

子供が産まれたかったから、産まれた、という話しもある。
それも知っているしよく解る。
種の保存、本能、っていうのがあるのもわかる。
カルマの法則で、っていう事もわかる。

だから、どういう理由で産まれたか?という疑問は、とっくに解決していた。
ところが、また、浮上した。
もしかしたら、今抱えている課題のサイドストーリーとして浮上してきたのかもしれない。
しかし、浮上すれば、メンタルがメタメタだ。
だだっ子のようになる。いや、気分は単なるだだっ子状態としか言いようが無い。
親には感謝しているし、私が望んで産まれた事もわかっている、にも関わらず、
『なぜ私を産んだ?!?!?!』
という疑問と共に、うんざりするような拗ねた気持ちがおさまらない。
こんな疑問を持ってる事自体、親が知れば悲しむだろう、というのもよくわかる。
だから申し訳無いなぁ、と思うけれども、浮上した物は、自分が納得する答えを
得られない限り、霧散してはくれない。
疑問とその疑問を否定しようとするのに心がざわつき、どんよりだ。

ところが。
お風呂とはありがたいもので。
浮上した疑問のお陰でどんよりMAXになった頃、ちゃぽんとお風呂につかったら
パカッと閃いた。

『理由は探さなくて良い』

え?あ?え〜〜?!?!
理由は探さなくて良い?
ああ、そうか、探さなくていいんだ。
すとんと腑に落ちた。

いやいやいや、答えは必要でしょう。
理由は必要でしょう?!
答えや理由や動機は探さなければならんでしょう!

腑に落ちた後で、しばし混乱。
しかし、脳内でジタバタやりつつ、探さなくて良い理由がなんとなく浮かんだ。
要するに、ひとつの正しい答えを探さなくて良い、という事。
私を産んだ理由はひとつでは無い。
母の、父の、あんな思いやこんな思い、それからいろんな考えがあっての事。
だから、ひとつの理由を探そうとするなら、その必要は無い。
理由はたくさんあるから。

どうしても、ひとつの正しい答えを欲しくなってしまう。
無意識に『ひとつの正しい答え 』を探している事すら気が付かなかった。
理由を探している、と思っていたけれど、本当に欲しかったのは
『正しいひとつの理由、正しいひとつの答え』

そんな物は無い!

自分が何かをする時だって、この理由!と明確な一つの動機だけっていう事は
なかなか無い。
むしろ、複数の理由、要因から事を起こす事の方が圧倒的に多いのだ。
そして、動機というのは、人それぞれなのだから、動機は人の数だけある。
正しい、ひとつの答え何て物は、この世に存在しないのだ。
存在しない物を探しても、時間の無駄。
だから探さなくていいのだ。

理由は、答えは、探さなければならない、と思い込んでいたのだろう。
実は、探さなくていい場合もあると知って、一気に気が楽になった。

いったい何を真剣に悩んでいたんだろう?
思い詰めていた自分が可笑しくなった。

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