2016年04月15日

言葉を違う角度から捉えてみる 〜服従〜

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服従する。
服従、というと、いや〜な感じがする。
押しつけられてる感じ。
服従というものを、少し別の角度から見てみた。

もしも、相手が電機炊飯器だったら・・・
うーん、完全に服従していますね。
電機炊飯器の言うとおり、つまり、コンセント入れてスイッチ押さないと、お米は炊けないですよ
って言われてるから、その通り、服従しております。
電機炊飯器に使われちゃってますよ。
でも、電気炊飯器を使いたいから、あなたの言うとおり、スイッチを入れますわ。
決して、自分独自のやり方がある!と気張って、電気炊飯器の橫にあるガスコンロのスイッチをひねったりはしませんもの。
こうやって私は、あらゆるモノに服従している。
逆の言い方をすれば、服従しようと思えばできるだ。
しかも、自主的に。
そのものを適切に使いたい、と思えば、何だって服従できるのだ。
思えば、生活は、服従にまみれている。
引き戸を目の前に、自分の独自の法則で!と押しても引いても開かない。
引き戸だから、橫に開かなきゃ、開かない。

その用途を用途として使おうとしている自分を『服従している』と見なしてみれば
生活は服従だらけ。
これって、ちょっとしたコメディじゃないかしら?

服従、という言葉に、ちょっと違和感、あるいは、並々ならぬ違和感をお持ちの方、
ちょっと角度を変えて見てはどうだろうか?
『こんな事に服従はできない!』とか『服従できる性格じゃないのよ!』と息巻いているかたわら
結構な割合で服従している自分、出来ている自分。

服従・・・やればできるじゃん!てか、そんなに難しい事でもえげつない事でもないじゃない?
って気になりませんか?

全てはひとつ。
与えたモノが受けとるモノ。
私は存在している。
全ては変化し続ける。
これらの法則をうまく使おうとすれば『服従』してしまうのが、手っ取り早いのだろうな。
と、美味しいご飯が炊けるのを、電気炊飯器の前で待つのでありました。





posted by ミー at 00:13| Comment(0) | 内観(自分調査) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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