2016年01月21日

時は金なり 〜お金に相当するのは”時”だけなのか?〜

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人のお金でも自分のお金でも数えるの好きo(^▽^)o
と言って、会費の会計を買って出たら「羨ましい・・・」と言われた。
どうも、お金に嫌悪感を持っている人には、羨ましいらしい。

私もお金は怖かった。
若い頃、レジをまかされ、1,000円受け取ってお釣りを渡すだけで、舞い上がったもんだ。
パニック。
それほど、お金にビビっていた。

そんな仕事をしていたら、そのうちお金に慣れてきた。
幸か不幸か?前夫が自営をしていて、1,000万単位の仕事もしてたので、その位数字には
慣れてしまった。
銀行でお金の交渉もできるようになった。
会社のお金だけど、100万円、バッグに入れて持ち歩いても平気になった。
1,000円でビビってたのに。

そうなっていったのは、数字に慣れたっていうのもあるけれど、お金やりとりする間に
お金とはいかなるモノか?と考えた、という事もある。

よく身銭を切る、というけれど、本当にそうだと思う。
お金っていうのは、たかが紙切れだけど、それを手に入れるために、自分はどれだけ
努力を重ねているだろう?
お金を得る=仕事をする=仕事には自分の時間を提供する=自分の体も提供する。
自分の人生の時間を削り取って、お金なるモノを得ているのだ。
昔は米や小麦がお金の代わりだったとか。
それじゃ重いので、持ち運びに便利で、お米や小麦同等の価値のあるものを、と考え出された。

お金も実は物々交換になると思うのだけど、どうも毛嫌いされる事が多い。
お金=汚い。
小麦や米や塩みたいに、重たくないし、大量生産出来る便利な物だから、たくさん使える。
たくさん使う=賄賂。

お金を持った者が勝ち、と言うけれど、昔は荘園(田畑)持った豪族が幅をきかせてた訳で
お金が無くなったとしても、何らかの形で、その時代の生活で一番必要なものをたくさん持ってる
人や団体が、いわゆる裕福、余裕のある生活をしている。
水なり食料なり塩なり石油なり・・・

単純にエネルギー交換、という視点で見ると、何かを受けとれば(得る)、何かを与える(渡す)
という力が働く(らしい)。
得て渡す、という交換行為が、目の前で行われればスッキリ爽やか!なのだけど、これが目に見ないと
いったい、どこでどう出て行くモノやら・・・
目の前で交換されたとしても、得た物のエネルギーに対して、渡した物のエネルギーが少なければ
多分、生活していて、どこかの時点で不足分のエネルギーが出て行くのだろう。
事故とか故障とか病気とか失せ物とかいう形で。

情けは人の為ならず
(人にかけた情けは、いずれ自分の元に返ってくる、と私は解釈している)
人を呪わばあな二つ
(人を呪えば、必ず自分にも、どこからか返ってくる、と私は解釈している)

与えたモノが受けとるモノ

人が栄えるのも、家が栄えるのも、企業が栄えるのも、何らかの形で、人様が良くなるような事を
与えているのだと思う。
栄続けるのならば、怠りなく、切磋琢磨して与え続けているのだと思う。
そして、受けとる事に遠慮が無いのだと思う。
遠慮が無い、というか、へりくだる訳でもなく、傲慢になるのでもなく、ただ単に、自分が与えた(送り出した)思い(エネルギー)がこんな形で返ってきたんだ、と淡々と受け取っているのだろう。

さて、私が発するエネルギーはどんな形で返ってくるのだろう?
できるだけ、素敵な形で返ってきてくれるよう、自分の思いを磨いてるつもりなんだけどね。

お金をお金として、ご大層な物として恐れていると、扱いづらい。
お金も気持ちも物も同等の事、として見る事ができれば、お金はそんなにビビる物ではない、と思う。
posted by ミー at 22:07| Comment(0) | 心模様 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月19日

やってる!やってる! 〜ジミーちゃんじゃないよ^^;〜

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俺、やってますから!
マツコの知らない世界に出演していた、武井壮さんの言葉。

武井さんは、小5で自分はスポーツで生きていこう!と決心したとの事。
それ以来、スポーツで生きる為に、どうやったらいいか?という事を
ず〜〜っと、ず〜〜〜っと、ずぅ〜〜〜〜〜っと研究していたそうです。

ただ者じゃない。

彼は、人を笑顔にするお笑いは素晴らしい!と気づいて依頼、お笑いをする為に
自分のアパートを引き払い、お笑い芸人の集う飲み屋に住み続けた・・・という話しを
聞いた事があって、その時も、コイツ、ただ者じゃ無い!と思い、密かに尊敬してました。

そんな武井氏が、スポーツで生きる為に、いろんな事をやって、やって、やりまくって
最終的に出てきた彼の中の結論。

俺、武井壮をやってる!

は?

は?な話ですが、彼は、いろんな事をやり過ぎて、その意味をうまく説明できないそうです。
でも、自分の指針って、心の軸になる事って、なかなか言葉でうまく説明できないですよね。
それって、感じる事なので。
一応、理論はあると思うのですよ。そうなるに至った。
だけど、ある日ふと思ったのだと思います。

『俺、やってる!』

番組内で、室伏広治さんについて、ハンマー投げ選手を、女子高生が知ってる国は日本くらい。
そのぐらい地味なスポーツを有名にした室伏さんは凄い!という話からも、こう説明していました。

『室伏広治さんは、室伏広治をやってるんですよ!』

マツコさんは『やってるの意味がわかんな〜い!』とおっしゃってましたが、最後の辺りでは
そのニュアンスを掴まれたようで、最後はこの発言。

『あたし、マツコをやってる!!』

私もなんとな〜くニュアンスがわかったつもり。

室伏さんが室伏さんで在るために。
武井さんが武井さんで在るために。
マツコさんがマツコさんで在るために。

自分がこう在りたいという思い(イメージ)があるから、そうなる。
それをやり続ける為には、外側からはもちろん、内側からも『そんな事しなくても』という
声が上がったのではないかと思います。
それでも、やり続ける。
やめずにやり続ける。
他から強制されたのではなく、自らそう在りたいと思うから。
だから、やってるんです。

人間の心というのは、実に弱いもので、ついつい楽な方へと流れがち。
だから『こうだ!』と決めても挫折する事もしばしば。

だから、ある意味<やってる=演ってる>かもしれない。
『そんな面倒な事して生きなくてもいいか』という心の声を制して、やり続ける。
自分に無い物を、乗っけて、盛って、演り続ける。
そしてそれが、いつしか自分自身になっていく。

お〜〜!やっぱり、注目される人は生き方が違うな!
と、感心したのですが・・・ちょっと待てよ。
ちょ〜〜っと待てよ!
よくよく考えてみ???
私、自分をヤッテないですか???
やってるよね?
スポーツ選手やタレントじゃないから、世の中に注目される事は無いけれど、
私は私をやってますよね?
私は私で在ろうとしてますよね?
とりあえず、犯罪犯さない、人をなるたけ傷つけない、優しくしたい、って思って
私という人間をやってますよね?
おや。私、やってたんですね!

自分を演る、という事は、演ってるという自覚があるから演じられる。
演る、という事は、自分を表現するという事。
自分を表現するには、自分がどう表現したいか?という思いがあっての事。

幸いにして、これは仕事では無く、オファーがあっての事ではない。
その分、ギャラも出ないけどね。(いや、うまくすれば出るかもしれない)
あくまで、自分が演りたいかどうか?という事だけ。
どんな役でも、どんな演じ方でも、演ってる自分が楽しいのが最高!

〜 私、女優だから 〜

く〜〜!カッコ良く言ってみたいねぇ(≧▽≦)〃
posted by ミー at 21:41| Comment(0) | 心模様 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月13日

ダメ出しはディナーの後で 〜いや、いつ出されてもイヤだろう・・・〜

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あなたは今世では”光”だけ見て生きればいいんだよ。
と、言われ、意味がわからなかった。
意味が分からん!と心にひっかかっていて、ずっと気にしていて
1年くらいしてやっとわかった。

私はよく、これから起こる物事に対して悪い方向へ考える。
自分が傷つかないように、最悪の事態を想定して、どっちかと言うと
最悪の事態への心構えに重点を置いて物事をやろうとする。
すでに起こった事に対しても悪い事、悪い面しか見ない。
一瞬、その事の良い面に目を向ける、いや、チラ見する事はあれども
ほぼほぼ、その出来事の悪い面だけを思い出として抱きかかえている

さて、こんな状態で、いったい何時、楽な気持ち、幸せな気持ちになるのだろう?

例えばの話。
明日、ランチに誘われた。
楽しみだ。
でも、急に、相手に用事が入ってキャンセルされたらどうしよう?
急に、自分に用事ができてキャンセルするハメになったどうしよう?
常に、自分にとって、イヤな事が起こりうる事を想定し、それに対しての
対ショック砲を隠し持つって・・・

一度も、楽しみな出来事(この場合はランチ)をドタキャンされる自体に陥った事が無ければ
楽しみを奪われるなんて想像しないだろう。
かつて、あったのだ。
そして、とてもとてもショックだったのだ。
もう、傷つきたくない。
だから悪い想定をし、突然の闇にショックを受けないように、いつも闇を見ていた。

何か都合の悪い事が起こった時、そしてショックが大きければ大きいほど、
自分を責める(闇)事や人を責める(闇)事で、自分の気持ちに折り合いをつけてきた。
落とし前を付けてきた。
人に騙された時、例えば、うまい話にのって損した時<私がしっかりしてないから!>とかね。

光だけをみればいいんだよ。
と言われつつ・・・
実践には至らず、闇しか見なかった

闇を見るの一例=自分にダメだし

だめ出しは、現実が、他人がやってくれる
自分は脳天気に、自分のやりたい事だけやればいい

それはアカン、と他人様から言われた時に
腹を立てるのではなく
あ、こりゃマズいんだ、と道を修正する方向に気持ちを変えれば良い

他人からのダメだしは腹が立つけどね。
腹が立つ事自体に、違和感を持てれば上等。

人ではなく、事を観る。

誰それに言われた、ではなく、起こった事だけに焦点を当てれば
天の神様、あるいは、ハイヤーセルフ、もしくは、天使からのメッセージと
受け取れれば、気分は上々、のはず。
だって、それはメッセージが受け取れたという事ですもの。
posted by ミー at 00:32| Comment(0) | 心模様 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月23日

ブレイブハートに火をつけろ! 〜とか、強気に言っちゃってるけどね・・・〜

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へなちょこ、恐がり、臆病、で居たい、在りたいって自分が居る。
それはなぜか?
そうしている方が”楽”だから。面倒な事から逃げられるから。
立ち向かうより、逃げる方が楽だもの。
怖い、怖い!って言ってたら、怖い物に立ち向かう必要無いもんね〜〜。
自分の中の怖い場所に行かなくて済むもんね。

チキン南蛮、いや、チキンハートの自分に気づいたとき、わたし、腰が砕けるかと思った!
ちっちゃ?!?!?!
それが単なる逃げ口上だと、ホントに理解できた時、心底、黄昏れてしまった・・・

これは、理解するのに、本当に時間がかかったのよ。
何度も言われて、何度もイヤな現象にぶち当たって、逃げて逃げて逃げまくって。
私はとっても、とっても、すご〜く、すご〜〜く時間がかかった。

怖い=逃げているだけ、という事実をつきつけられて、半年くらい悶絶しまくり。

それを長いととるか、あっと言う間と取るか。

ちなみに、すべてはいまここ、時間なんて無いんだよ!という定義になぞらえば
今、気が付こうと、半年後に気が付こうと、100万年後に気が付こうと、変わりはない。

いつ気づく?
今でしょ?

どうせ10年後に気が付くなら、今、気が付いてもいいじゃんね?
今、気が付いてもいい、全て(今までの固定観念、主義主張、過去の教訓等々)が壊れてもいい!と
許可してないと、なかなか”今気づく”って事にならないけど。

恐れ(苦々しい過去)を受け入れ、肯定(美しい過去)に昇華するのは、夏休みの宿題に似てますね。
8月31日は、まだ先だわ!
(私も、モノによっては提出日前日にやってました^^;^^;)

死んでから気づくも良し、生きてる間に気づくも良し。
どうせ死んで気づくなら、生きてる間に気づいてもいいし、むしろ、その方が優等生っぽいし^^v
多分、自分が楽。

チキンでいたいの〜〜!
それなら大丈夫。
ひとつの事案(恐れ)に対して、ブレイブハートになれても、次の事案で、また、チキンハートになれるから。
そうやって、ブレイブハートになったりチキンハートになったりを繰り返していると、ある日気づく。

な〜〜んだ、ブレイブハートだけで良かったんじゃん^^v
posted by ミー at 19:21| Comment(0) | 心模様 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月17日

迷子の迷子の子猫さん 〜それでもネコは我が道を行く〜

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理想、目標、ゴール。
これは高く持つ方がいい、と思う。
なぜならば、ゴールに行くまでの事は、全て過程だから。
ゴールに立ってしまうと、やり尽くし症候群が襲ってくるから。

ゴールをより高い所に置けば、今、起こっている事は全て過程になるから。
過程であれば、失敗したとしても、それは過程であって、結果では無いから。

ただ、高く上げすぎると、自分がどんな目標を立てたかも忘れてしまうけどね。
なぜ、こんなに苦しい事が起こり続けるのか、分からなくなるけどね。
途中、一息ついてても、すぐに次の波がやってくる意味がわからなくなるけどね。

自分がどこに行こうとしているか、わからなくなった時、不安を感じる。
混乱する。
街中で迷子になる時と一緒だ。
街中はいい。
まだ、人に聞く、という手がある。
これが、荒野の真ん中で迷子になったら・・・
そういう時が、一番、気力が無くなってしまうのだ。
孤独をひしひしと感じる時。
この世に私は一人っきりだ、と思い込む時。

そのまま朽ち果てるのか?
いや、最後の手段を思い出せれば、まだチャンスはある。
叫ぶのだ。

『助けてくれ〜〜〜!!!』

と全方位、全宇宙に向かって叫ぶのだ。

誰も居ないのに叫ぶのか?
本当に孤独になった時、心底、孤独を感じた時、不思議なもので
目に見えない何者かがいるはずだ、という事を思い出す。
必ず私の願いを聞き届けてくれる、何者かがいる、と信じる心が出てくるのだ。
(もしかしたら、それを信仰というのかもしれない)
どこかに居るであろうそのモノに、全身全霊、全力で叫ぶのだ。

『助けてくれ〜〜〜!!』

叫んだ後は沙汰を待つしかない。
最後の手段なのだから、それ以上、何もできないのだから。
待っていると、答えは必ず帰ってくる。
便宜上、帰ってくる、と書いてはいるが、実際は自分の中からわき上がってくる。
思い出す、という事かもしれない。
自分がどこに行こうとしていたか?なぜにこの状況にあるのか?
そして、今、自分はどこにいて、これからどこに行けばいいのか?

さて、その高い理想、目標、ゴール。
何にすればいいのか?
今の所『自分を知る』に限ると思う。
自分が何に反応し、何に喜び、何に驚嘆するか?
なぜこんな反応をし、なぜこんな風に喜び、なぜこんな驚嘆の仕方をするのか?
ただ、ひたすら、自分のマニュアルを思い出していく事だと思う。
それが目標であれば、日々起こる事、出会いも別れもトラブルも、全てが過程になる。

全ては過程、全ては自分に至るための過程でしかないのだよ。
posted by ミー at 01:17| Comment(0) | 心模様 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする