2015年10月31日

心の乱れは

自分が大嫌い→自分が大好き

本質 この世は肯定が本質=自分が大好き

心 私のここが嫌い、私のあそこが嫌い

本質と心とのギャップ→苦しみ、悩み、違和感を感じる

この作用が起こっているとしたら?

他人は私の心が乱れていても、実は問題無い、気にしてもいない、という視点から見ると、
自分の心が乱れて苦しいのは誰か?
自分自信。

本質と心のギャップを埋めるのは誰の為にやっているのか?→自分の為。

自分の無意識が、自分を統合したいと考え出すと本質が動き始める。

『本質と心、ズレてますよ。ズレてる場所、お教えします。』

その教え方は、自分の社会生活においての不都合を起こす、という乱暴なもの。

不都合が起こるから、自分の心の作用を観るのか?本質と心を統合する為に、不都合を起こしているのか?
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2015年10月28日

今でしょ?

今、やらなければ!という事もあれば、時と場合を選んでやる、という事もある。
時間は無い、という観点で語れば、今日できなくても、明後日できれば、明後日が今である以上、今、できた!
という事になる。

プロセスを楽しんでいる間も、目的を達成している、という事も言える。
技術も人脈も、今でしょ?と言われて身につくものでもない。
今の全てを、行き着く為のプロセスと捉えられるか?
無駄足だ、と捉えるか?

人間の大きな目標として在るのは、生きる事だと思う。
現世を生き抜くこと。
死が訪れるまで(自殺、他殺、事故、病死)生き抜く事。
地球の人間として産まれてから、地球の人間として死ぬまでのこの期間。
いかに、死を安らかに迎えられるか?
今のままでいけば、10の苦しみを持って死ぬ予定だった所を、7の苦しみで死を迎えられるようにする。

魂の視点で話せば、生も死も、変化にしかすぎず、変化という刺激的な面白い事にすぎない。
その視点からだけで、この世を生きて行ければ、これほど面白い事はない。
けれど、人間としては、喜怒哀楽の楽しみは無くなってしまう。

いかに、魂の視点だけで生きて行けるようになるか?
そこが目標ではないだろうか?
いかに、それに近づけるようになりたいのではないだろうか?

すべてはそこへ行くためのプロセス。
勉強も、仕事も、人間関係も、社会情勢も、ご近所付き合いも、家族も。
目標までの通り道。通過点。
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2015年10月05日

人と話していて、出てきた言葉

人の相談を受けていると、思ってもみない事を言い出していたりする。
自分でもへぇ〜〜?!
時には、自分が疑問に思っていた答えだったりする。

・究極を見ると、対極(反対側の究極)が見えてくる
・信仰とは無制限に信じる事
・欲される事を与えれば良い、欲されない事は与えなくて良い
・必要とされない事を嘆くな、その場所ではなく、他で必要とされている
 それは自分が必要とされたい場所とは違う所かもしれない。

信仰とはいったい何だろう???
と思っていたら、その答えがやってきた。
今、これを書いて、もう少し補足的に考えてみたら、もうちょっと言葉が足された。
信仰とは、無制限に信じる事、自分が無条件の愛になれる、という事を無制限に信じる事。
つまり、善なる自分を信じる事。
善なる自分=悪も含む。
善なる自分=いかようなモノにも成れる自分。

自分というあやふやなモノを無条件で信じるってイメージしたら、床の無い”空(くう)”に足を踏み出すような怖さが。
恐ろしいからと言って、始めなければ、一生たどり着けない。
恐れの中に飛び込むのは、冷たい水に入るのと似ていて、えいっ!と飛び込んでしまえば、そのうち冷たさを感じなくなる。

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2015年09月30日

いくつかの気づき

・いち方向からしか見ていないと、迷う。
 そもそも徳があるのに不遇であった。ところが、そのうち棚ぼたで出世した。
 棚ぼた出世だけ見ていると『棚ぼた出世か・・・羨ましい』となるが、そもそも徳があったという所から見ると
 本来、徳のある人の所に、正当な道が開けただけ。

・自分が超人になったらどうなるだろう?
 超人的な力を見せびらかすか?人を助けまくるか?人に頼られすぎて疲弊するか?

・過去は反省しなくていい。
 間違いが正されていなければ現実が教えてくれる。整わない現実が起こり続けるだけ。

・自分は何かを持っているという勘違い。自分は全て持っているという自信。

・恩に報いるとは、必ず恩人に報いなければいけない訳ではない。
 先輩に受けた恩恵は後輩に返しても良いのだ。

・自分の経験だけでは不足なので、相手の傷、トラウマ、そのものを見て(寄り添って)理解して
 一緒に紐解いていく。より自分の経験が広がる。

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